サルベージ画像にこんな画像がありました。
当時、飯田線や大垣区で廃車になった車両は日車豊川か国鉄大船工場に運ばれ解体されていました。日車豊川の解体場は工場外にあるので公道からよく写真を撮りました。
そして、ある年関東方面に遠征する事があり、「大船工場ってどんな工場だろ?どんな風に解体作業をしているのだろ?」と気になって直接見に行く事にしました。
大船工場以外でも遠征先では鉄道車輌の解体作業をしている工場はよくチェックしていましたので・・・。
しかし、大体の位置だけで見当をつけ工場に向けてひたすら歩きました。
でも、大船工場自体なかなか見つからない・・・。
高校生の頃ですから、どんなトコを歩いたのか怪しいものです。当時は寛容だった立入禁止の場所も歩いたかもしれません。
ようやく工場敷地らしき場所に到着し、「関係者以外立入禁止」の看板より少し中に侵入した記憶があります(;´Д`)
そ・・・そこには・・・。旧国は見当たりませんでしたが・・・・・・。
「何じゃ、こりゃ~!」と驚きました。色褪せボロボロになった客車。ベージュ色みたいに退色しています。しかし、当時ほとんど見る事がなかった「三軸ボギー台車」。
何の車両かは判らなかったですが、ただ者じゃない客車だってことは判りました。本当は奥まで行って各車の詳細写真や反対側の写真を撮りたかったのですが、この写真を撮るだけでも「立入禁止」の看板より中に入っています。さすがに恐くなって、コレ1枚だけ撮って撤収しました。
近年になって調べてみました。
当時、お召し列車は1号編成があちこちで運用されていました。現在も御料車庫で保管されている1号編成は1960年に新製された1号御料車(3代目)と供奉車460号・340号・330号・461号で構成されています。
その一方、旧1号御料車は3号御料車に改番され、もともとあった2号御料車とともに待機し、供奉車として462号・463号・344号・335号が準備されていました。しかし、運用されることはなく、最終的に国鉄分割民営化を前に1986年に除籍され解体されました。ただ、なぜか344号供奉車だけは大宮工場に運ばれ、イベントで展示されたりして、現在も新幹線高架下のトワイライトゾーンで保管されています。
この画像は供奉車462号・463号・344号・335号じゃないかな?と思っています。