続編です。前回記事はコチラ。
例によって、事故画像です。キライな方・不愉快に感じる方はここから先を見ずにスルーして下さい。
DD51はスハネフ14に食い込んだ状態でした。復旧作業の段階で食い込んだ部分をバーナーで落としていきました。
いろいろ検索してみたら、たまたま事故現場に朝到着して写真を撮っていた方もいました。スハネフ14が部分切除されていない状態や、ソ80と一緒に到着した救援車も撮られています。この記事参照。
DD51に激突された14号車と隣の13号車の衝突部分。14号車1両では衝撃をカバー出来ず、13号車がここまで凹んでいる・・・。いかに凄まじい衝撃だったか・・・。
んん?この事故で廃車になったのはDD51-717とスハネフ14-102のみ。ってことはこの13号車のオハネ14は修理したってことですよね~~。
スハネフ14-102の妻面。このまくり上がり方は恐ろしい・・・。
稲沢常駐の操重車「ソ80」がやって来て脱線車両の復線を試みていました。前にも書きましたが、昔は沿線道路事情が悪く、脱線事故などのさいにクレーン車が事故現場に近づけない事がよくあったそうです。そのためオンレールで事故現場に行ける「鉄道クレーン車」である操重車が全国各地に配備されていました。
ソ80が業務に使われているのを見たのは後にも先にもこの時だけでした。
ディーゼルエンジンの排気ガスが8番線?ホームを直撃していたので、ずいぶん煙たかった記憶があります。
「自重84t」って軽く書かれていますが、スゴイ重量ですよね~(^^ゞ
1982年3月15日撮影。
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