名鉄岐阜市内線は2005年3月で廃止になり、同時に廃止になった美濃町線・揖斐線などとともに線路・施設が撤去されていきました。
岐阜市内線は結構早いペースで撤去が進みましたが、名鉄岐阜駅前は交通量も多く、周辺施設の改良もあって遅めでした。2007年1月に線路撤去が始まったようです。
知らない人も多いようですが、路面電車といってもアスファルトの下は普通に枕木があって線路を固定しています。この時の作業は右に見える大きなエンジンカッターでアスファルトと線路に切り目を入れて短くして、後はショベルカーで根こそぎ掘り返して撤去していたはずです。
そのエンジンカッター作業の様子です。
こうして見ると、背景に今はない建物や看板が結構ありますねぇ~。「小森カメラ」なんて昔ちょこちょこ出入りした事あります。岐阜バス旅行センターの建物も懐かしいです。
線路を敷くのは大変な作業ですが、いざ廃止すると撤去は数日で完了してしまいます。やはり簡単に廃止はすべきじゃなかったかと・・・。悲しいかな岐阜市内線が廃止になって大きなトラブルは発生しませんでした。通学輸送はマイカーに切り替えた親も多かったようで・・・。
京福電鉄福井線が事故で営業停止処分を受け→廃線となったさい、その冬の通勤通学輸送がパニックになり、結果として「えちぜん鉄道」誕生のきっかけになったのですが・・・。
2007年1月7日撮影
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